数年前のことだが、ある官庁から封書が届いた。あけてみると、ワープロで打った文書がすぐ目にとびこんできた。つまり、文面を外にして折ってあったのである。ぎょっとした。差し出人は若い事務官らしい。おそらくものを知らないから、こんなことをしたのだろうと勝手に解釈した。

それにしてもひどいものだとびっくりしたから、いつまでも頭にのこっていた。そして気をつけるともなく気をつけていると、同じようなことをしている文書がときどきある。世の中はそこまで落ちぶれてきたのかと情けない思いをして、ものを知らない代表のように言われる学生はどうであろう、と思ってアンケートをすることを考えついた。

五十人にきいた。全員が文面を内側にして出す、と答えた。外にしたりすることがあるのか、と反問したものもいる。まずは常識的である、とひそかに安心した。やはりお役所がおかしいのだと、こんどはいっそう自信をもって勝手に判断した。そのことを文章に書いたものを入れて本を出版したところ知人から注意をうけた。

それは無知のせいではない。非常識ときめつけられては困る。このごろは文面を外にする折り方はすこしも珍しくない。自分は仕事上の通信ではそのようにしている。書いてあることが内側になっていると、ひらいて見るのに手間がかかる。外を向いていれば、一目で用件がわかって便利である。能率的である。もっとも私信は別で、これはかならず書いた方を内側にして便箋を折る…。

そう言われて、ひどくおどろいた。いつのまにか世の中で新しい、自分のまったく知らない方式が行われていたのである。こちらが無知なのに、相手がいけないと思ったりして恥ずかしかった。この知人は大企業の最高幹部として活躍しているだけでなく、文筆でも一家をなしていて、日ごろから敬服している人だけに、そのことばは決定的だった。私はさっそく自分の考えを訂正することにした。

そこへやはり知り合いの年配の婦人からやはりその本をよんだといってはがきをもらった。その人が先年、ある機関の事務の仕事をすることになったとき、まず、最初に考えられた訓練は郵便物を出すとき、文面を外側にして折るように、ということだった、と書いてある。

そう言われて注意してみると、あるわあるわ、文面を外にした郵便物が毎日いくつも届くのである。ダイレクトメールのたぐいが多いこともあって、これまで気づかなかった。そんなものは手紙と認めないから、ろくに見もしないで、ときには封も切らずにすてていた。そういう郵便物の多くは印刷してある。あるいはワープロで打ってある。事務用、業務用、宣伝用の通信で、手書きの私信で外側にしたのは、いまのところひとつもない。しかし、それだけ外折りがふえてくると、私信といえども安心できなくなるかもしれない。

折り曲げるから、文面を内にするか外にするかが問題になる。折り曲げてあるからひろげる面倒もおこる。一枚をそのままにして封に入れれば、そういうことが一挙に解決してしまう。そう考えるところが多くなったとしても不思議ではない。折らないものをそのまま送ってくる。それで郵便物がどんどん大型化してきた。

-中略-

それはともかく、当面は、私信は文面を内側にして、事務通信、ダイレクトメールは外側にするという二通りの様式が共存することになる。そのことをまだ一般に知らない人が多いということを官庁や企業などの人は頭に入れておいた方がよいかもしれない。われわれはなにごとによらず、むき出しをきらう。金やものを人にわたすときにもかならず包む。封書からむき出しの文面がとび出してくるのはあまりいい感じのものではない。